|
||||
|
||||
1955年、埼玉県桶川市生まれ。誕生後しばらく本木雅弘の本家に預けられる。 六歳からヴァイオリンを桶川市内で習い始め、母から声楽の指導を受ける。 十一歳で巌本真理弦楽四重奏団の演奏に触れ、弦楽アンサンブルに開眼。以後音楽大学を目指す。 十二歳で岩船雅一(ガイチ)に師事し、ヴァイオリンの指導を受ける。 翌年ヴィオラに触れ、その音色の神秘性に驚愕。 十六歳でヴィオラ転向を決意、東京フィルの首席奏者であった伊藤正に師事。 1974年、洗足学園大学音楽部弦科に入学、弦楽四重奏を始める。 翌年、大学側がチェリストの大御所、大村卯七を室内楽講義に招聘、磯恒夫と共に室内楽指導者とする。 この講義について、二年在学中にも関わらず授業のアシスタントを務め 1976年 ベルリン旅行 高校時代から趣味で始めておいたドイツ語が役に立つ 三年在学中から、新星日本交響楽団のエキストラ出演を開始。 南ドイツのG.シュミットの流れを汲むボウイングを学ぶ。 スコットランド一か月滞在 1978年、東京フィルハーモニーにエキストラ出演を開始。 NHKテレビ番組「音楽の広場」等にオーケストラ一員として出演。 翌年入団、この頃ベルリンRIAS交響楽団のM.ツィーマンと交友を持ち始める。 オーボエ奏者 V.リーバーマン氏の知遇を得る 1980年、横浜で音楽教室を開始 巌本真理四重奏のヴィオラ奏者であった菅沼準二の親交を得る。 1982年、「バシレイア合奏団」(現:三沢アンサンブル)と小学生の為の「クーゲル合奏団」を開始。 翌年、双方共に第一回ステージ この頃からクリーヴランド管弦楽団員L.ジョエルと親交を持つ そこからオハイオやカリフォルニアの米国系の交友が広がる。 1986年、横浜でソロ・リサイタル この頃、ヴラディーミル・スピヴァコフの奏法に感化を受ける オーボエ奏者 松山 嗣 氏とヴァイオリニストの奥方と知り合い競演 森岡 弘、奈留子夫妻の知遇を得て、以後数度の公演を共にする。 1988年、セミプロの「アンサンブル・カルディアス」を立ち上げ、翌年まで二公演。 1989年、プロアンサンブルの「チェンバー・ジェネシス」を開始 1993年、「たのしくまなべるバイオリンの本」二巻本を刊行 翌年、中国系の友人らの計らいで中国の楽器製作の現場を渡渉 所沢に移動。この頃からチェロを弾きはじめる チェリストの清野佳子嬢に出演を依頼、以後何かと世話になる 1998年、イタリア、クレモナに至る 何人かの製作者から知己を得、鬼才バルツァリーニに遭う 日本では製作者、佐上浩三氏の優れた楽器を発見 翌年、「チェンバー・ジェネシス」でイタリア新作楽器のCDリリース 母校の後輩に当たる生野正樹らをメンバーに要請 1999年再度クレモナへ(一世一代の珍道中) 楽器製作者 M.ヴィッラの世話になる いまや著名な製作者菊田 浩氏と出会う (学んでおいた中国語がなぜかイタリアで役に立つ) 世界をヒッチハイクしていた松香さんお元気ですか? 2000年、菊田氏を通して製作者 大久保 治氏に紹介を得る 頼 徳昌、黄 瑞国、盛 中龍 こうした台湾・中国系の優れた製作者らと知り合う 2006年、入間市にてアマチュアの「フェリーチェ」を結成 翌年、藤田正朗に三ツ沢アンサンブルは委ねて引退。 このころからソリストの梅沢和人の知己を得、後に楽器を貸与 2007年、埼玉医科大学の管弦楽から指導要請あり。 翌年、同大学内に弦楽アンサンブルが発足、これを主宰。 2015年、資料探索のためつくば市に移動。現在に至る。 + My Site +My blog |